VOL.4
ギュンター・ツォーンさん
写真家
写真との出会いは10歳の時でした。父からカメラを譲り受けたのがきっかけです。その時私が最初に興味を持った被写体は木でした。森ではなく、一本の木です。よく観察してみると、その構造、コントラストの存在に気づきました。その時、木はコントラストの強い白黒写真として私の目の前に現れたんです。まるで絵画を思わせるようなグラフィカルな美しさを感じました。その後、大学で写真工学を学び、フィルムとカメラを製造するメーカーに入社しました。当時いちばん仲の良かった同僚がたまたま日本法人の人たちでした。彼らとの交流の中で、「いつか日本に行ってみたい」という思いが強くなりました。そこで、1986年に印刷会社に転職し、初めて日本を訪れました。そして5年後の1991年、ついに念願叶って東京で働き、生活をするようになりました。
これまで東京のいくつかの街で暮らしてきましたが、神楽坂に引っ越してきてからは23年ほどになります。第一印象から、とても居心地の良い地域だと感じました。迷路のように入り組んだ細い道や小さな路地が文化的で趣のある魅力に溢れていることも、その理由のひとつです。神楽坂は歴史的にフランスと深いつながりがあり、国際的な雰囲気も醸し出しています。ただ、麻布十番のような場所と違って神楽坂はとても静かなので、そこがとても気に入っています。以前、新聞のインタビューでもお話ししたのですが、私は東京を「1000の村」の集合体だと喩えています。その中で、この界隈はとても小さく、快適で、平和で、ほとんど静寂です。例えば、朝起きたときに最初に聞こえるのは鳥のさえずりです。そして、新聞配達のバイクの音が聞こえ始める。それによって、ここに住む人たちの営みを静かに感じ取ることができる。ダイナミックで賑やかな大都会という東京のイメージとは真逆で、オアシスのような感覚です。
これまで東京のいくつかの街で暮らしてきましたが、神楽坂に引っ越してきてからは23年ほどになります。第一印象から、とても居心地の良い地域だと感じました。迷路のように入り組んだ細い道や小さな路地が文化的で趣のある魅力に溢れていることも、その理由のひとつです。神楽坂は歴史的にフランスと深いつながりがあり、国際的な雰囲気も醸し出しています。ただ、麻布十番のような場所と違って神楽坂はとても静かなので、そこがとても気に入っています。以前、新聞のインタビューでもお話ししたのですが、私は東京を「1000の村」の集合体だと喩えています。その中で、この界隈はとても小さく、快適で、平和で、ほとんど静寂です。例えば、朝起きたときに最初に聞こえるのは鳥のさえずりです。そして、新聞配達のバイクの音が聞こえ始める。それによって、ここに住む人たちの営みを静かに感じ取ることができる。ダイナミックで賑やかな大都会という東京のイメージとは真逆で、オアシスのような感覚です。
カメマンネンと出会ったのは5年前です。神楽坂には何十年も住んでいるので、この界隈のことはほとんど知っています。古い建物もたくさん見てきたし、カメマンネンのお店の周辺もよく知っていました。ある日、「なんだかおもしろいメガネ屋さんがあるな」と思って、試しに入ってみたんです。私はすぐに気に入りました。私のスタイルに合ったメガネがたくさんありましたし、お店の雰囲気もほかのメガネ屋さんとは全く違いました。魅力的な古い建物とメガネのスタイルが見事にマッチしていました。古い建物がチャーミングで、メガネのスタイルもチャーミング。メガネと建物のスタイルが似ていて、トラディショナルでとてもいい組み合わせだと思います。本当に心地いいお店だと感じましたね。
No.152 size44 (AG)
私は写真を撮るとき、必ずモノクロで撮るかカラーで撮るかを決めてから撮影します。もちろん、普通のデジタルカメラならカラーもモノクロも撮れますが、私はそんなことはしません。この2つは心構えがまったく違うんです。モノクロの場合は、形や光と影のコントラストなど、自分が面白いと思う被写体を探し、モノクロのカメラを選びます。カラーの場合は、別のカメラを使い、色が主役になるような被写体を探します。また、あまり目立たないものにも注目します。道に落ちている小さなゴミでも、写真に撮ると急に美しく見えることがあります。写真で表現するという意味では、被写体そのものが美しいかどうかはあまり重要ではないと思っています。それよりも、その物や光景が自分にとって魅力的であるかどうかが重要なのです。そして、日本の禅の概念である「わびさび」が、私の写真のお気に入りのテーマのひとつであることは偶然ではありません。一見すると、朽ちた屋根や崩れた壁を持つ古い建物は醜く見えるかもしれません。しかしそれは人生の無常を表す美しい表現でもあるのです。神楽坂は「わびさび」の宝庫です。そのようなものに出会うと、私は永遠にシャッターを切りたい気持ちになります。
私の写真は、政治的なメッセージを伝えるためのものではありません。紛争地や自然災害、発展途上国の貧しい人々を撮影しているわけではありません。もちろん、ロシアのウクライナ侵攻やCOVIDの大流行のように、現実を伝えるためにこうしたイメージを使うことは重要なことだと思います。命がけで多くの悲惨な状況を記録している写真家たちを心から尊敬しています。しかし、私は今、次の世代のために環境を守ることの大切さを考えながら、地域の生活や静かな風景、川や海を撮影することによって、より貢献できると考えています。ある意味、私の写真を通じて、人生のよりポジティブな側面に焦点を当てることで、より平和な世界へ間接的に貢献することができればと願っています。